そこに足を踏み入れた瞬間、ハッとして暫し立ち止まってしまいました。
人の気配のない懐かしい昔の風景。
かつて暮らしていた人が路地からひょいと出てくるような、時代をタイムスリップしたような不思議な感覚に陥ったのです。
ここは坂本竜馬、西郷隆盛、吉田松陰、シーボルトなども訪れたという歴史ある場所。
国の『重要伝統的建造物群保存地区』に選定されている、広島県呉市の大崎下島御手洗(みたらい)地区。
瀬戸内海のほぼ中央に浮かぶこの美しい島は、呉市内から4つの橋を渡り3つの島を通り抜けることを要する桃源郷。
『安芸灘とびしま海道』という名で結ばれた島々。
たどり着いた先には目の覚めるような絶景が広がっていました。
江戸時代から重要な中継貿易港があったこの島は、当時の船舶が和船(帆で推進させる船)であったことから風待ち潮待ちの港町として隆盛を極めました。
そして江戸の吉原と並び称されるほど栄華を誇った広島藩最大の花街でもありました。
四国・九州の諸大名の参勤交代のための船団や、長崎奉行の往来、オランダ使節や琉球使節の江戸上りなどの接待は莫大な富をもたらし、遊女達は高い教養も備えていたそうです。
この街に4軒あった茶屋のうち最大で、最盛時には100人以上の遊女を抱えていたと言われている若胡子屋跡の趣ある玄関。
その内部は展示スペースになっており、全国から集まったという十代の少女達のあどけなさの残る表情の写真も。
その厳しい生い立ちや入島後の悲痛な人生を知るにつれ切ない気持ちがこみ上げて、誰もいないその部屋に彼女たちのかすかな息遣いを感じたような気がしました。
今はその華やかにも物哀しい過去を包み込み、静かに時を刻んでいる御手洗。
江戸の町屋の風情を残す家々の格子窓には、島人の優しさが伝わる新鮮な生け花が揺れています。
そんな御手洗の長く濃い時代とともに歩んできた、二百年の歴史をもつ船宿『なごみ亭』。
この建物の2階の奥座敷はこの春、かつての遊郭としての気品を再現したGalleryとして生まれ変わりました。
遊郭を連想させる弁柄色(べんがらいろ)の壁に、花魁をイメージしたという豪華な打掛のディスプレイ。
海辺に通じる廊下はお座敷を忙しく往き来する遊女たちの足音が聴こえてくるようです。
こちらでは遥水直筆の書画が展示・販売されています。(2023年現在は取り扱いがありません。)
広島県内唯一の手漉き和紙の産地である大竹市の手漉き和紙を使用。
広島県木・県花であるモミジをあしらった、旅の思い出としても手に取っていただけるような郷土色豊かな作品にさせていただきました。
みなさん機会がありましたら、豊かな自然と歴史文化の残る御手洗に是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。
この島を後にする前、なごみ亭2階の肘掛欄干のある場所に腰かけてみました。
2階といえど案外低く、道行く人と間近で目が合う位置に驚きます。
耳を澄ますと三味線の音や人々の喧騒が聴こえ、たくさんの船の灯りが目に浮かぶようでした。
遊女達は逃れることの出来ないこの場所で、どのような思いで海を見つめていたのでしょうか。
下高井戸にある書道教室