2019.03.01
3月1日 平和と命の大切さ

2月最終日のレッスンは、土砂降りの冷たい雨で真冬の寒さ。

子供達もしっかりと防寒して足元は長靴。

普段自転車で来る子も時間をかけて徒歩で、電車やバスで来る子も大変な思いをしてやって来てくれました。

 

 

 

 

インフルエンザや風邪が猛威を振るった1、2月でしたがようやく峠を越したようで、悪天候の中でも全員が揃った活気のあるひとときになりました

 

 

 

 

一転して3月のスタートは午後から青空に。

地元世田谷の中学校の書道部へお手本を届けると、紅梅が満開。

 

 

 

 

青空が広がっても風はまだ冷たく、穏やかな陽気に包まれる春が待ち遠しいばかりです。

書道教室では、来月の桜上水むつみ会館桜まつりの書道展に向けて一般クラスの皆さんが書き込み中。

今年は全員半紙の大きさで、古典を生かした書から優しい作品、エネルギッシュな作品、ポップな作品など書き手の心が見える魅力的な作風。

普段のお手本を見て書く臨書と違い、好きな短歌や俳句、詩や感動した言葉などを、毛筆やペンで美しい紙に書き上げるという豊かな時間となっています。

地域の方々が大切にしている年に一度の桜まつりなので、書道に詳しくない方でも楽しんでいただける、会話の弾む展示会になればと考えています。

 

 

(2015年度のむつみ会館桜まつり)

 

生徒の皆さん、月末の提出までもう一踏ん張り、力を注いで下さいね。

 

さて、先月のよく晴れた日曜日の午後、九段下の靖國神社へ。

地下鉄から階段を上がり、視線の先に高さ25メートルという威容を誇る大鳥居が見えてくるといつも身が引き締まります。

一般の神社と違う、戦争で命を落とした数多の方々の魂が祀られている場に足を踏み入れる緊張感でしょうか。

 

 

 

 

見事な銀杏並木が続く参道を歩き鳥居をくぐると、参道中央にそびえ立つのは大村益次郎像。

 

 

 

 

靖國神社の創建者が山口県出身という事を知ってから、いつもここで立ち止まり暫し見上げてしまいます。

 

 

 

 

ここには海軍軍属だった母方の祖父、石川市太郎が眠っています。

 

 

 

 

年賀状のお仕事を担当させていただいている文筆家の稲垣麻由美さんの影響を受け、数年前より祖父の歩んだ道を辿りたいという願いを持っていました。

稲垣麻由美オフィシャルブログ 『「軍歴証明書」をご存じでしょうか』(2015/2/14)

 

愛知県にある祖父の戸籍謄本を始め、たくさんの必要書類を揃えて厚生省に申請し、軍歴証明書が届いたのが昨年末。

稲垣さんの特別なお計らいで、靖國偕行文庫の葛原和三さんより祖父の軍歴や当時の戦況について詳しくご説明いただくという誠にありがたい時間をいただきました。

 

 

 

 

葛原さんは、一船員の一片の資料から膨大な情報を集め、関係するところには全てラインマーカーや色鉛筆でチェックを入れて私たちを迎えて下さり、その遺族や英霊に対する真摯な姿勢に驚き感嘆するばかりでした。

 

 

 

 

祖父の乗っていた船の歴史や写真、船内図まで残されており、遠い過去のことが身に迫る現実のように感じられた尊い時間。

甲板長として乗り組んだ鶚丸(みさごまる)は、昭和19年8月13日午前9時25分、敵潜水艦の雷撃を受け沈没し遺骨は見つかっていません。

 

 

 

 

稲垣さんが刊行された『戦地で生きる支えとなった-115通の恋文-』の主人公である、陸軍第100師団の山田藤栄氏と、海軍第32特別根拠地隊に所属していた祖父が、同じミンダナオ島のダバオ近郊で戦っていたこともわかり何とも感慨深いものがありました。

『戦地で生きる支えとなった-115通の恋文-』

 

 

 

 

葛原さんにお話を聴いている途中、さめざめと涙を流しておられた稲垣さん。

「これは私の涙ではないのです。本当に。市太郎さんが嬉しくて泣いておられるのです。市太郎さんの涙なのですよ。」とのお言葉。

私も異国の地でさぞ無念であったであろう、若い祖父への少しでも供養になったかと胸にこみ上げるものがありました。

そして、たくさんの人々の犠牲があって平和に暮らせる今を大切に、しっかり生きなければと強く感じました。

祖父の分までも。

 

葛原様、稲垣様、本当にありがとうございました。

また桜の時期に機会を得て、祖父に会いに来たいと思っています。

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