2025.05.20
5月20日 書と教育 二刀流展

若葉青葉が輝くように生い茂るこの時期。

私も母もお誕生月である5月は一番好きな季節です。

 

 

@桜上水

 

母は、生まれ月にちなんだ「早苗」という名前で、昔なじみの皆さんからサーチャンと呼ばれています。

水面きらめく田んぼに瑞々しい小さな苗が立ち並ぶ様子が浮かぶような明るい名前。

週末は岩国に帰省、母とドライブして美しい早苗田を眺めることが出来ました。

母の健康と、日本人の命の源である大切なお米が安定して供給されますことを祈ります。

 

さかのぼって14日㈬、お世話になっている横浜の岡忠表具店さんからのご紹介で、川崎の笠原秋水先生の個展に伺いました。

 

 

新百合21ホール

 

小学校教諭と書道、言葉による表現を大切に歩まれた88年の軌跡をたどる『書と教育 二刀流展』。

 

 

 

 

広大な会場に足を踏み入れた途端、表現が難しいですがとにかくとてつもない迫力に圧倒されました。

 

 

会場はこの倍の広さ

 

正面のステージには巨大なパネル。

 

 

川の流れのように

 

先生が会場を回りながら読売新聞社さんの取材を受けておられたので、居合わせた私たちも貴重なお話を聴くことが出来ました。

 

 

これが最後の個展と語られました

 

教諭時代、子供たちには人と同じはつまらないから人と違うことをしなさい、一人一人異なるのがいいんだと伝え続けたとのこと。

 

 

野球や陸上の選手としてもご定年まで活躍

 

生涯、現場の一教師でありたかったため、教頭や校長推薦のお話も断られたそうです。

 

 

川崎市立下沼部小学校校歌碑

 

先生のお父様は戦死されたため、お母様はたった5年間の結婚生活で、3人のお子さんを苦労しつつ育て上げ、98歳まで長生きされました。

 

 

母は永遠の海である

 

ご両親への愛を表現した作品の数々、胸に詰まります。

 

 

 

個展開催のきっかけは、戦後80年を迎えたことと米寿を迎えたこと、今年お母様の13回忌であること。

そしてお父様のお誕生月である5月に開くことにされたそうです。

お父様は、米軍と激しい戦闘が繰り広げられた硫黄島で45年3月に戦死。

 

 

 

 

延々と並ぶ硫黄島の戦死者名、先生の魂が宿ったお一人お一人の名前に見入りました。

 

 

 

 

そしてなんといっても圧巻だったのは戦争への思いを恐ろしいほどの強さで表現した作品群。

 

 

わたしは戦争の悪を憎む

 

書道は、長い年月をかけて研究を重ね、人間性を高めてより価値の高いものが生まれることから「老成の芸術」と呼ばれています。

二十代の作品が生涯最高の作であることは、どれほど著名な書道家でもまずないでしょう。

どんな時代を生きて、どんな心境で筆を執られたのか。

米寿を迎えられた先生の生き様やパッションが満ちた世界にリスペクトするばかりでした。

 

 

崖 崖はいつも女をまっさかさまにする

 

『崖』 石垣りんの詩

戦争の終わり。

サイパン島の崖の上から

次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら何やら。

火だの男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。

ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ

まだ一人も海に届かないのだ。

十五年もたつというのに

どうしたんだろう。

あの、

女。

 

 

響けよ不戦の鐘 昭和百年

 

全作品数45点。

そのうち、超大作の新作15点!

新作は、ご両親へ長男からの供養を兼ねて恩を返すことを願い書かれたとのことでした。

先生の優しさが現れたこんな展示も。

 

 

直行を貫き蟹となる

 

可愛いカニさんのオブジェに、小学校教諭を貫かれた先生のあたたかな眼差しを感じます。

 

 

書と教育二刀流は現在進行中

 

書道を通じて生き方そのものが表現された展覧会。

額装、パネル、掛け軸、新旧全ての表具を手掛けられた岡忠さんも、時代の波に乗った新しい感覚で作品を盛り立て、見事の一言。

興奮冷めやらぬまま会場を出る頃には、壮大なスケールの人生劇場を見終わったような高揚感に包まれました。

教育者である笠原先生が全身全霊で道標を示して下さいました。

ご案内下さった岡忠さんに心から感謝です。

本当にありがとうございました。

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