今年、東京から出られるとは思っていませんでした。
急に決めました。
群馬県伊香保散策の旅へ。
新宿から高速バスで2時間余り。
見上げると、この時期ならではの雲一つない青空が広がっていました。
まず訪れたのは、榛名山麓の壮大な自然に囲まれた伊香保グリーン牧場。
牧場の一角には美術館「ハラミュージアムアーク」があり、屋外にも様々な現代アートが点在。
(ハラミュージアムアークは日本の現代アートの先駆者的存在、品川区の原美術館別館。)
「森の中のリビングルーム」がコンセプトの素敵なカフェ。
店内にも本物のうさぎがいて愛嬌を振りまいていました。
見ているだけで心が和みます。
何と言っても楽しみだったのは、大好きな動物とのふれあい。
ここでは、牛や馬、やぎ、うさぎ、羊とたくさんの可愛い動物たちに出逢うことが出来ます。
ニッコリ微笑んでいるような羊
みんなとても慣れていて近づくと思い切りすり寄ってきます。
柵の間から顔を出して撫でさせてくれる羊は、カーペットのようなフワフワな手触りでした。
豊かな自然と動物に癒やされたあと、伊香保温泉街からのびるロープウェイへ。
頂上まで約4分の空の旅。
山頂の「見晴駅」を降りて山の中を歩いていると何だか身体が軽くなっていきます。
森林浴の効果でしょうか。
木々の葉も少しずつ色づいて、色鮮やかな赤とグリーンのコントラスト。
暑くもなく寒くもなく爽やかな秋の季節感を身体中に感じます。
この時期になると必ず思い出すのは故郷岩国の紅葉谷公園。
4年前に父が旅立ったのも錦秋の10月27日でした。
コロナ禍でも、父の命日に青い空を眺めながら秋の香りに包まれることが出来たのは本当に幸せなことでした。
標高932mの展望台は「ときめきデッキ」という素敵なネーミング。
眼下には息をのむほどの雄大な絶景が広がっていました。
大パノラマの右手は渋川市街
左手は上信越の山々
そして伊香保名物石段街へ。
石段は、天正4年(1876)年頃、「長篠の戦い」で敗れた武田勝頼が負傷者の治療のために造らせたものと伝えられています。
365段の石段を挟んで飲食店やお土産物屋さんなど楽しいお店が建ち並び、頂上の伊香保神社へと繋がっています。
365という数は「温泉街が一年365日、賑わいますように」という願いが込められているそうです。
息を弾ませ、上りきったところで伊香保神社に参拝。
ここから、神社の裏手にある、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったという河鹿橋へ。
映画では神々の世界と現世の境目だとされていた朱塗りの橋。
紅葉には少し早かったですが、ノスタルジックな雰囲気を味わうことが出来ました。
帰り道はゆっくりと石段を降りてゆきます。
昔懐かしい射的や手裏剣、輪投げのお店もたくさんありました。
夕暮れに染まる温泉街。
遠くに小野子三山(十二岳、中ノ岳、小野子山)が見えます。
歴史ある街並みと参道の賑わいは、何度も訪れたくなるような魅力的な場所でした。
夜は、茶褐色の「黄金の湯」と透明な「白銀の湯」の優しいお湯を堪能。
翌朝、ホテルのすぐそばにある竹久夢二の記念館へ。
夢二は大正8年に初めてこの地に訪れて、その風土や自然、人情のとりことなり「榛名山美術研究所」の構想を立てたと知りました。
本館はヨーロッパのお城のようですが、中は大正期に作られた和物が中心で心落ち着くアンティークな空間。
これぞ夢二といった情感あふれる作品の数々は本当に素晴らしく、その世界にひたすら没頭。
館内は撮影禁止でしたので、少しですがお土産の絵はがきでお楽しみ下さい。
左:黒船屋(大正8年) 右:榛名山賦(昭和6年)
夢二は、日本画家としてだけでなく、詩人でもあり、様々なものをモチーフとしたデザイン画も手掛ける大正時代のアーティストだったようです。
中:はさみうち・小学少女口絵 右:かんざしに(昭和初期)
驚いたのは、世田谷の松原にも「少年山荘(山帰来荘)」という家を建て住んでいたことがあったとか。
下高井戸の駅前で「お嬢さん、モデルになって下さい」とよく声を掛けていたというエピソードにビックリ。
タイムスリップしたかのようにその存在が急に身近に感じられました。
館内の重厚なホールでは、大正時代のオルゴール演奏を鑑賞することも出来ました。
夢二の「宵待草」が流れると、温かなアナログの音色の美しさに涙腺が…。
こうして、駆け足でしたが身も心もほぐされた二日間でした。
最後にホテルの前でマスクを外してパチリ。
可愛いぐんまちゃんともさようなら。
たっぷりとエネルギー補給して、2020年残りの2ヶ月も頑張ります。
下高井戸にある書道教室