本国中国の春節になると旅行者で猛烈な混雑になるだろうと予想されている展覧会。
(春節前の上海)
念願の『特別展 顔真卿-王羲之を超えた名筆-』を鑑賞することが出来ました。
書友の細井翠櫻先生と共に快晴の上野、東京国立博物館平成館へ。
広大な会場には、古代の文字の成り立ちからわかりやすい字と書の歴史、書聖王羲之、初唐の三大家(欧陽詢・虞世南・褚遂良)や中国や日本の歴代の書家の作品が、観ても観ても次々に現われ、一日ではとても足りない充実度でした。
これほど豪華な展覧会はもう一生のうちに観ることはないのでは思ったぐらいです。
今回の目玉である『祭姪文稿(さいてつぶんこう)』(日本初公開)は、所蔵元の台湾の故宮博物院でも保全のため3年に一度しか公開されないというこの上なく貴重な作品。
戦死したたくさんの親族への慟哭を書き連ねた顔真卿の直筆を目の当たりにして、しばらくその場を動けませんでした。
場内で唯一撮影可能だった『紀泰山銘』。
平成館の高い天井から吊り下げても足りない巨大な拓本は圧巻。
全て唐の玄宗皇帝が手がけられたということにも大きな感動でした。
この日は、ゆとりのある内覧会で、混み合うことなく堪能させていただく事が出来ました。
ご招待して下さったOさん、誠にありがたく心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
実はこの前日、広島で行われた折り句講師を目指す方々への講座でお話をさせていただき、展覧会のため急遽、飛行機の便を早めて帰京したのです。
話はさかのぼり、広島では折り句関係の皆さんとの盛り上がりのあるお仕事や、旧友との楽しい再会もあり心に残る3日間となりました。
学生時代を過ごした懐かしい広島。
早朝、久しぶりに平和公園へ。
凄惨な姿の原爆ドームを見上げながら静かに歩いていると、どこからともなく柔らかなチャイムの音が聴こえてきました。
ドームの脇を流れる元安川の向こうに時計台が見え、時計の針はちょうど原爆投下時刻の8時15分を指していました。
73年前のその日を想像し、たくさんの人が水を求めて亡くなった川面に向かって黙祷。
佐々木貞子さんの原爆の子の像の前では、昨年の夏に書いた折り句がよみがえりました。
『70年間は草木も生えない』と言われた広島は、明るく自然豊かで街は活気づき、素晴らしい復興を遂げたのだとしみじみと感じました。
フリータイムには友人の紹介で、開業80年の『西文明堂』さんという老舗の書道用品店へ。
そして広島の一等地、並木通りに面した友人の家に同級生が集結。
昔お世話になったご両親も加わり、みんなあだ名で呼び合い、思い出話や広島の地理や歴史の話など話題は広がるばかり。
現在はお洒落な若者の街、並木通りも昔は広島城の外堀に続く平田屋川という川が流れていて、泳いで遊べたそうです。
イベントのために作った手作りのパンフレットをきれいなまま持ってきてくれた友人もいました。
パソコンやコピー機でなく、何十枚何百枚でも手書きしていた時代。
多感な年頃で色々なことがあったのだと思いますが、良いところも弱いところもわかり合い、みんな笑ってばかりで過ごしていたような気がします。
楽しい再会のひとときはあっという間で、改めて思いやりのある素敵な仲間に恵まれていたのだなあと温かい気持ちになりました。
また会うことを誓い名残惜しく別れて、帰京する飛行機からは見事な富士山。元気をもらいました。
古い時代の中国の暦では、もうすぐ訪れる2月4日の立春が一年のスタート。
猛威を振るうインフルエンザや風邪に負けず、志新たに頑張ってまいりましょう。
春はもうすぐそこです。
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下高井戸にある書道教室